大阪城

最近になって秀吉がわが子秀頼に宛てた手紙が発見されました。内容は秀吉が秀頼を溺愛していた
事が解かる内容のようです。大阪市が京都の古美術商からウン千万で買ったそうです。
近々、大阪城にて一般公開の予定だそうです。歴史ファンなら是非見てみたいですね。
大阪城の歴史と平成の大改修


◆豊臣時代の大阪城
明応5年(1496)の秋、浄土真宗の蓮如上人が今の大阪城付近に一宇の坊舎を営んだ。この坊舎はやがて大坂本願寺(石山本願寺)と呼ばれる大寺院に成長し、折から戦国の世にあって大いに権勢を奪ったが、やがて台頭してきた織田信長のために天正8年(1580)陥落してしまった。ところが、まもなく信長は本能寺の変で自刃してしまい、その後を継いだ豊臣秀吉が新たに大坂を手にいれ、本願寺跡に入るが(天正11年=1583)、天下統一を狙う秀吉は新たに大規模な築城工事に着手、三国無双と評される豪壮な城郭を完成させた。しかし、この城も秀吉の死後17年経た慶応20年=元和元年(1615)、大坂夏の陣の兵火のかかって全焼してしまった。

◆徳川幕府の再築
夏の陣後、大坂は一時松平忠明の領するところとなったが、将軍秀忠は間もなく直轄地とし、元和6年(1620)から大坂城の大規模な修築工事を開始させた。この工事は10年の歳月を経て寛永6年(1629)に完成したが、わずか36年後、落雷のため天守閣が焼失し、以後江戸時代を通じて天守閣は再建されなかった。
幕府に至り、町人の御用金で大手多門櫓の再建をはじめ大改修が行われたが、明治維新の動乱で多くの建造物を焼失した。

◆昭和の天守閣復興
昭和6年、大阪市民の熱意により鉄筋コンクリート造り地上55mの天守閣を再建した。しかし、太平洋戦争では城内及び周辺に多くの軍事関係施設があったために激しい爆撃にさらされた。ほとんどの建造物が破損した中、幸いにもこの天守閣は焼け残った。こうした戦後を迎えた大阪城は昭和23年(1948)から史跡公園として再出発することとなり、翌年には天守閣の再開、その後古建造物の修復、博物館の開設、近年は大阪城ホール・野外音楽堂などのユニークな施設が建てられ、今や国際的な一大史跡公園となった。

◆平成の大改修
平成9年(1997)、大坂の貴重な歴史・文化遺産として、又代表的な観光名所として60有余年にわたり親しまれてきた大阪城の大規模な改修が完成した。
外壁の塗り替えと装飾部品の修復、金箔の押し直しにより白壁と金箔の輝きで彩られた美しい姿がよみがえった。
天守閣は震度7の地震にも耐えられるように補強され、エレベーターの延長などにより、車椅子の方でも展望台へ出られるよう改善された。閣内はシアタールーム、ジオラマなどの興味深い設備が増え、歴史資料館としても充実した。こうして生まれ変わった天守閣は、外と内からライトアップされ、大坂のシンボルとして輝きを新たにした。
シアタールーム
大坂夏の陣図屏風
重要文化財大手多門櫓 大手門から西外堀

【入館料】大人600円 中学生以下無料
午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)
*お得な「大阪周遊パス」がありますよ!
【お問い合わせ】大坂天守閣
【電話】06−6941−3044 
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大阪城公園案内図


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